ローマ植民地、ゴッホの「アルルの闘牛場」時代を経て、今なお現役「アルルの円形闘技場 L’Amphithéâtre(les arènes)」- アルル旅行
「アルルの円形闘技場 L’Amphithéâtre(les arènes)」は、ローマ植民地時代、ローマのコロッセオより古い、推定紀元1世紀末に建造された円形闘技場。
世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の、一部として登録されています。
2014〜2015年年越しヨーロッパ旅行(18泊21日+おまけ)シリーズ
今回は「アルルの円形闘技場 L’Amphithéâtre(les arènes)」です。
ゴッホゆかりの地
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円形闘技場の入口を見つけるまでは、
営業しているのか不安になるくらい周囲に人影なし。。
並ぶことなく入場できました。
周囲の住宅地には
巨大な円形闘技場に差し込んだ、アルル特有の強い太陽の光が創りだした
円形闘技場のアーチ型をした影ができていました。
円形劇場の周囲は高さ21m。
建築当時は3階建てだったようですが
現在は2階建て、60のアーケードが取り囲んでいます。
1階の柱は角で、2階の柱は丸みを帯びており
ローマのコロッセオ同様、階毎に柱の様式が違うようです。
資料写真が展示されている場所
奥には闘技場の広場が見えます。
画面右の階段から、客席に上がります。
アルルの円形闘技場は、ローマのコロッセオよりは小さいですが
ローマ植民地時代、ゴッホの「アルルの闘牛場」時代を経て
今現在も利用されている空間です。
この場所にどれだけの人が立ったのでしょうか。
中は自由に散策できます。
画面の中に人がいますので大きさが比較できると思います。
しかし日差しが強いです。。。
上部の客席はパイプと板で仮設の様な造り。
座席の板には席番号が振ってありました。
今の姿からは信じられないですが、この円形闘技場は、中世時代には要塞化され、1825年に改修されるまで場内には人々が住み、一時は200軒程の家や2つの礼拝堂があったそうです。
写真左の塔(中世に造られた監視塔)の周囲からアルルの町並みが見渡せます。
円形闘技場の上にある塔からのアルルの眺め。
この景色から、パラボラアンテナを消してしまうと
どの時代にいるのかかわからなくなりそうです。
円形闘技場を中心に放射線状に道路が伸びています。
木製の鎧戸は防犯対策というよりは、この土地独特の日差しを遮る重要な役割を果たしているようです。
塔から暫く町を眺めていると、日が傾きかけた静かな町に教会の鐘が鳴り始め、一段と中世に戻ったかのような雰囲気になりました。
こんなに間近にアーチの上を見るのは初めてでした。
この先は手すりがないので。。アルルの周辺がよく見渡せます。
円形闘技場のアーチで切り取ったアルルの町の景色
アーチとアーチの間の石の積み重ね方が違っています。
アーチ構造は見た目の綺麗さだけではなく、巨大な建築物を支えられる程、構造的に優れているのですね。
完成当時は、この上に壁があり日除けの開閉式の天幕がはられていたようです。
客席と通路を行き来する階段が見えます。
2万人も収容したので、通路の確保は重要ですね。
2階部分から1階の通路部分を眺めたところ。
改修工事のせいか、一部はまだ新しく思えます。
天井の曲線が綺麗ですが、薄暗さもあって少し怖い雰囲気です。
当時は今のようにアリーナから差し込む光がない中、この通路を剣闘士達が歩いたのだと思います。。
夜のコロッセオも綺麗ですが、アルル出発当日の朝のコロッセオも綺麗でした。
この後、ゴッホの「夜のカフェテラス」で有名なカフェのある「フォルム広場(Place du Foru)」に向かいました。
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2014年12月