世界遺産|タリン旧市街の散策③(山の手の散策)− タリン旅行
タリン旧市街の「山の手(Toompea)」は、かつて軍事拠点となっていた丘の上にあります。
下町とは違う雰囲気があり、現在も「トームペア城=現国会議事堂(Toompea Loss)」があり、国の中心拠点となっています。
Vappuでピクニック・タリンで世界遺産の旧市街散策シリーズ
今回は「世界遺産|タリン旧市街の散策③(山の手の散策)」 です。
右にある高台が、これから目指す山の手(Toompea)です。
商人が生活していた下町と違って、統治者や貴族は、この高台に住んで下町を見下ろしていたようです(今も国の中心施設は山の手にあるので変わらないですね)。
ドームのある建物がアレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Aleksander Nevski katedraal)、中央の塔が「のっぽのヘルマン(Pikk Hermann)」です。
この門塔は、1380年に建設。
かつてはこの「長い足(Pikk Jalg)」と「短い足(Luhike Jalg)」という名前のついた道2本のみが、タリン旧市街の下町から「山の手(Toompea)」へ通じる道でした。
その昔は、夜になると門が閉じられ、往来できなかったようです。
塔門を抜けると。。
名前の通り、緩やかで長い道が続きます。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Aleksander Nevski katedraal)
長い足(Pikk Jalg)を登り切ると
目の前に現れるのが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Aleksander Nevski katedraal)です。
1894年〜1900年にミハイル・プレオブラジェンスキー(Mikhail Preobrazhensky)によってロシア復古主義のスタイルに設計され、建設されました。
左奥には、ピンク色が眩しいトームペア城=現国会議事堂(Toompea Loss)があります。
「山の手(Toompea)」の見どころは、まだまだ続きます。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Aleksander Nevski katedraal)
Web:http://tallinnanevskikatedraal.eu/
Web:http://tallinnanevskikatedraal.eu/
帝政ロシアによって建てられたロシア正教の教会です。
こちらが出入り口。
正面の角ばった印象とは違い
こちらは円形がたくさん。
今回、内部の見学はしなかったのですが
内部は豪華で、日露戦争で沈没したロシア艦隊のプレートがあるそうです。
日露戦争当時、エストニアはロシアに支配されていたので、たくさんの人が犠牲になったようです。
バロック様式のピンク色のお城。。
13世紀前半に建設され、支配者が変わるたびに改装されてきたお城です。
内部は、ガイドツアーで見学できるとか。
トームペア城=現国会議事堂(Toompea Loss)
Web:http://www.riigikogu.ee/en/visit-us/visit-riigikogu/
Web:http://www.riigikogu.ee/en/visit-us/visit-riigikogu/
もう少し近寄りがたい雰囲気だと想像していたのですが
外壁が予想以上にピンクなので
違う意味で圧倒されました。
塔の高さは50.2mあり、15世紀の建造当時のまま残されています。
この塔の上には、代々、時の権力者の旗が掲げられており、
現在はもちろん「エストニアの国旗」が
毎日、日の出の時間に国歌と共に掲げられています。
※写真は、お城の南側にある「クーバーネリ庭園(統治者の庭園)」からの眺めです。
ここは1773年に造られたと考えられています。
聖マリア大聖堂(Toomkirik)のあるこの場所は、山の手(Toompea)の最高地点です。
中世からこの山の手(Toompea)の中心地に建ち
1233年以前に建てられた聖マリア大聖堂(Toomkirik)は
その後何度も改修され、様々な建築様式が融合されています。
バロック様式の塔は、1770年代末のもの。
聖マリア大聖堂(Toomkirik)
Web:http://toomkirik.ee/
Web:http://toomkirik.ee/
ここからコフトゥ通り(Koftu)を歩きます。
この緑の素敵な建物は、エストニアで結成された「ドイツ貴族による騎士団のための建物」です。
現在の建物は4代目で、建築家Georg Winterhalterによって1845年〜1848年に建設(その前は1684年6月6日の山の手で起きた大火災で消失)。
1920年〜1940年に外務省
1948年〜1992年には国立図書館
2009年からエストニア芸術大学(Eesti Kunstiakadeemia)の校舎のひとつとして使用されているようです。
※2016年には大学も移動予定。
Eesti Kunstiakadeemia
Web:http://www.artun.ee/
Web:http://www.artun.ee/
ウンゲルン・シュテルンベルク宮殿(Ungern–Sternbergi palee)
右側に重厚な石造りの家が見えました。
ドイツ人建築家Martin Gropiusの設計で、1868年完成の建物。
暫く進むと、右側に
コフトゥの展望台(Kohtuotsa Vaateplats)からの眺め
このコフトゥの展望台(Kohtuotsa Vaateplats)は、バルト海そして旧市街と新市街が一緒に眺められるタリンでお勧めの展望台です。
左には塔が連なり、高く突き出ている尖塔は「聖オレフ教会=オレヴィステ教会(Oleviste kirik)」そして右端には「旧市庁舎(Raekoda)」も見えます。
聖オレフ教会=オレヴィステ教会(Oleviste kirik)
HAPPY TRAVELER: かつては世界一高い建造物!「聖オレフ教会=オレヴィステ教会(Oleviste kirik)」からタリンの街並みを眺める − タリン旅行
旧市庁舎(Raekoda)
HAPPY TRAVELER: 8世紀にわたり市民生活の中心地「ラエコヤ広場・旧市庁舎(Raekoja Plats・Raekoda)」 − タリン旅行
手前が先程登ってきた長い足(Pikk Jalg)の門塔の辺りです。
ちなみに、山の手にはここの他に、城壁がよく見えるパットクリ展望台(Patkuli Vaateplats)があります。
白いビルは「オリジナル ソコス ホテル ヴィル(Original Sokos Hotel Viru)」です。
このホテルの最上階にはKGBの前線通信基地だった「KGB博物館」があり
ホテルのフロントで予約をすると見学できるようです。
やはり新市街には、新しい近代的なビルが目立ちます。
旧市街の建物と比較ができ面白いです。
この通りには、琥珀を加工した商品を販売するお店が多く見られました。
とりあえず、城壁と塔がある景色はどこでも絵になります。
旧市街では、広場や道の所々にこのようなお土産屋さんがありました。
3種類の味の違う「アーモンド」やミネラルウォーターのペットボトルが売られていて
売り子さんは中世風の衣装を着ていました。
売り子さんに「それはこの地方の民族衣装なの?」ときくと「全く違う」とのこと。。
手前の四角い塔が「処女の塔(Neitsitorn)」です。
名前とは裏腹に、元は売春婦を収容した監獄。
「処女の塔(Neitsitorn)」は3階建てで、カフェがあります。
ここでも怪奇現象が起こると町の人々が噂しているとか。。
処女の塔ミュージアムカフェ(Neitsitorni muuseumkohvik)
Web:http://linnamuuseum.ee/
Web:http://linnamuuseum.ee/
そして奥にある円形の塔「台所を覗く塔(Kiek in de Kok)」は、高さ38mあります。
1470年に山の手(Toompea)の最も緩やかな(攻められやすい)斜面を守るためにつくらた大砲塔です。
塔が高く、中世の警備兵が「民家の煙突を通して台所が覗ける」 という冗談を言ったことが由来でこの名前になったとか。。
1577年のリヴォニア戦争で、ロシア軍の砲弾により最上部を爆破されました。
その後の修復で、記念に砲弾(6個程)が塔の壁に埋め込まれ、現在でも確認できます!!
「台所を覗く塔(Kiek in de Kok)」は現在博物館になっており、最上階にはカフェもあります。
2010年にリニューアルオープンしたこの博物館からは、山の手(Toompea)の地下に隠されている要塞通路のツアーがあり、事前予約が必要のようですが何だか楽しそうです。
※地下通路の気温は7〜10℃!!ツアーガイドが必要です。
TALLINN CITY MUSEUM(Tallinna Linnamuuseum)
Web:http://linnamuuseum.ee/
Web:http://linnamuuseum.ee/
この城壁の左側を見ると。。
通路があり、かなり下り坂になっています。
ここを突き進むと山の手(Toompea)の城壁の外になります。
先程の城壁を抜けると
デンマーク王の庭(Taani Kuninga Aed)に出ました。
1219年、デンマーク王ヴァルデマー2世が、当時山の手(Toompea)にあったエストニア人首長の砦を攻めている際、神頼みをすると「赤地に白十字の旗を掲げよ」とのお告げがあり、その通りに旗を掲げて攻め入ると戦いが好転したとか。。
それによりここがデンマーク国旗(ダンネブロ)発祥の地と言われています。
左奥にあるのが、城壁の外からみた「台所を覗く塔(Kiek in de Kok)」手前の四角い塔が「処女の塔(Neitsitorn)」です。
高い鐘塔は、ニクリステ博物館=聖ニコラス教会(Niguliste kirik)です。
ここから下町に戻ります。
佇まいは中世のままのようですが
長い足(Pikk Jalg)に比べて
細くて急な下り坂です。
この通りなら、鉄看板もよく似合います。
やっと短い足(Luhike Jalg)の終点。
見上げるとこんな感じです。
左に腰掛けているお兄さんは、楽器を演奏していました。
短い足(Luhike Jalg)から通りに出ると今度は。
博物館の裏側に出ました。
1230年代にゴットランド島からきたドイツ商人によって建てられた教会で
第二次世界大戦の際爆弾で破壊され、その後1980年代に修復。
現在は宗教芸術のみを対象とする博物館となっています。
たくさんの展示作品の中でも、バーント・ノトケの美しくも不気味な絵画「死の舞踏(Danse Macabre)」は有名です。
ニクリステ博物館=聖ニコラス教会(Niguliste kirik)
Web:http://nigulistemuuseum.ekm.ee/
Web:http://nigulistemuuseum.ekm.ee/
あまりにも大きいので
下部分はこんな感じです。
この後、エストニア料理を食べに「クルドゥセ ノッツ クルス(Kuldse Notsu Korts)」に行きました。
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2015年5月
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