色あせた美しい楼閣「赤崁樓(Fort Provintia)」の散策 − 台湾縦断旅行
「赤崁樓(Fort Provintia)」は、オランダ人が1652年に建造したもので、当時は「普羅民遮城(プロヴィンシア城)」と呼ばれていました。
清や日本の統治時代を経て、数回に渡る改築や修復が行われており、今現在は、海神廟と文昌閣という楼閣等があります。
台南の青空の元、楼閣の装飾や色合いが綺麗でした。
グルメとアートを堪能!!年末・台湾縦断旅行シリーズ
今回は「赤崁樓(Fort Provintia)」 です。
赤崁樓(Fort Provintia)の外観
右の受付で入場料を支払い、中に入ります。
赤崁樓(Fort Provintia)の内部
ここから、反時計回りで行ってみました。
1.お土産屋さんとトイレ
施設の手前右には、お土産売り場とトイレがあります。
この建物も物凄く、年代物のようで興味深かったです。
2.鄭成功に降伏するオランダ人の像
鄭成功は、台湾におけるオランダの支配からの開放を成し遂げた人として台湾の英雄ですが、母親が日本人で長崎の平戸で生まれた人というのは日本では知られていないですよね。
前月に平戸の千里ヶ浜を通るまで知りませんでした。。
レンガ積みの城壁、ここだけでも雰囲気があります。
3.普羅民遮城(プロヴィンシア城)の遺跡
1994年に発掘された東北稜堡の基礎部分。
4.楼閣のひとつ「文昌閣」
2階建です。
早速入ってみました。
左にある胸像は、日本統治時代最後の日本人台南市長であった鳥羽又男さん、ここ「赤崁樓(Fort Provintia)」を始め、台南の文化遺産の保存に貢献した方ということですが、胸像や説明書きがあり、初めて知りました。
後ろには2階に続く階段があります。
床がギーギーなりちょっと怖いですが、ここまで来たら登るしかないです。。
4−1.文昌閣の2階
2階には、学問の神様「魁星爺」が奉られています。
北斗七星の四角い升の部分(4つの星)が魁星。
少し変な格好に見えますが、右足で鰲(おおがめ)という想像上の動物を踏み、左手には墨壺、右手には筆を持っています。
合格祈願の札。
4−2.文昌閣の2階から海神廟を眺める
屋根の先には、鯉の飾りがついています。
獅子の顔が怖いです。
4−3.かつては、ここから眺める景色が台湾八景の一つでした
この景色からは想像できませんが、清代初期までは、大海原が広がり、
波が押し寄せる「赤崁の黄昏」は、当時台湾八景の一つとされたそうです。
右に見える建物は、蓬壺書院。
赤崁樓(Fort Provintia)
この2つの楼閣の間には、半円形の井戸があり、伝説では底に安平の古城に通じる通路があり、これはオランダ人用の緊急脱出用だったとのこと。。5.もうひとつの楼閣「海神廟」
こちらも2階建です。
この派手さのない、色あせた感じが本当に綺麗です。
5−1.鄭成功の肖像画
こちらには、鄭成功の肖像画があります。
5−2.「普羅民遮城(プロヴィンシア城)」の模型
オランダ人が1652年に建造した「普羅民遮城(プロヴィンシア城)」の模型。
楼閣から降りる階段はかなり急です。
6.元は鄭成功のお墓を守っていた石馬
元は鄭成功のお墓を守っていた石馬ですが、鄭成功のお墓が福建省に移されると、他の人の墓地の守り役とされたこをと不満に思い、夜な夜な周囲の田んぼを荒らすようになったため、農民によって鋸で脚を切られたそうです。
そう言われれば、前足が片方ないですよね。。
オランダ人が1652年に建造した普羅民遮城(プロヴィンシア城)の入り口だったところです。
ちょっと薄暗くて雰囲気が怖いです。。
花崗石の亀が、碑文を乗せられています。
今日も1日暑かったので「赤崁樓(Fort Provintia)」の外の売店でアイスクリームを買って一休みしました。
この後、永楽市場周辺に向かいました。
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2015年12月
赤崁樓(Fort Provintia)
営業時間: | 8:30~17:30 土曜日 8:30〜21:30 |
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