ローマ時代の墓地の遺跡「ローマの墓地(MUHBA Via sepulcral romana)」 − バスク地方とバルセロナ旅行
「ローマの墓地(MUHBA Via sepulcral romana)」は、「Plaça de la Vila de Madrid」にある、ローマ時代の墓地の遺跡です。
時間帯によっては、有料で遺跡の中に入ることができますが、時間外でも、上から自由に眺めることができます。
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今回は「ローマの墓地(MUHBA Via sepulcral romana)」 です。
バルセロナの街の中に不意に現れる「ローマの墓地(MUHBA Via sepulcral romana)」
観光客で溢れる「ランブラス通り(Las Ramblas)」から、少しゴシック地区に入ったところにある広場「Plaça de la Vila de Madrid」の低地には、木樽を半分にしたような墓石が並んでいます。
バルセロナは、かつてローマ皇帝アウグストによってつくられた「バルキーノ(BARCINO)」という名前の町でした。
当時ここは城壁の外で、ローマと「バルキーノ(BARCINO)」を繋ぐ道があり、西暦1〜3世紀の間、その道の両端は、埋葬地として使用され、墓石が並んでいました。
しかしながら、河川の堆積物によって次第に埋まってしまったそうです。
中世の近代都市が発達して成長するにつれて、この地には1588年に「サンタ・テレサ・レ・カルメル教会の修道院」が建てられました。
その後、スペイン南北戦争中の火災で破壊された「サンタ・テレサ・レ・カルメ
ル教会の修道院」は移転、跡地の開発の計画が立てられ、その建築作業中にこの墓石群が発見されたそうです。
当初の開発計画は変更され、
現在は、遺跡を中心に広場「Plaça de la Vila de Madrid」となっています。
墓石は、色も形も微妙に違いますね。
観光客に自分たちの墓地が見学されるなんて、想像もしていなかったでしょうね。
周囲の建物の美しさも必見です!
この広場「Plaça de la Vila de Madrid」を囲む建物は、建築家「Adolf Florensa」によって1950、1960年代に設計されました。
そのため、とても美しい建物が広場を取り囲んでいます。
先程墓地を見下ろしていたところは、写真右側です。
広場の遠くからは、墓石は見えませんね。
広場の周囲の建物が紹介してあるようです。
この裏には、2004年3月11日に起こった「マドリード列車爆破テロ事件」の被害者を記念した文章が刻まれています。
広場にある、存在感のある噴水は、彫刻家「Lluís Montané i Mollfulleda」の作品。
後ろにある建物は図書館などが入った文化施設「アテネウ・バルセロナ(Ateneu Barcelonès)」です。
Josep Maria Jujol i GibertとJosep Font i Gumàにより1906年に改装されました。
この後、ガウディが息を引き取った「サンタ・クレウ病院(Hospital de la Santa Creu)」跡と中庭「ルビオ・イ・ルッチ公園(Jardins de Rubió i Lluch)」に行ってみました。
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2018年5月
ローマの墓地(MUHBA Via sepulcral romana)
Web: | https://www.victoriaeugenia.eus/ |
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