内戦の弾丸跡が残こる教会と「サン・フェリペ・ネリ広場(Plaça de Sant Felip Ner)」− バスク地方とバルセロナ旅行
「サン・フェリペ・ネリ広場(Plaça de Sant Felip Ner)」は、ゴシック地区の小さな広場です。
現在は、とても静かな広場ですが、この広場には、ガウディが通い、路面電車に轢かれて亡くなる直前にも向かっていた「サン・フェリペ・ネリ教会(Iglesia Sant Felip Neri)」があり、スペイン内戦の際の弾丸の跡が残ります。
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今回は「サン・フェリペ・ネリ広場(Plaça de Sant Felip Ner)」 です。
サン・フェリペ・ネリ広場(Plaça de Sant Felip Ner)
この広場には、中世の墓地「Montjuïcdel Bisbe」の上に、1752年に建てられ「アドルフ・フロレンサ(Adolf Florensa)」 が設計しました。
中央には、生命の象徴として捧げられた八角形の噴水があります。
スペイン内戦の弾丸の跡が残こる「サン・フェリペ・ネリ教会(Iglesia Sant Felip Neri)」
1721〜1752年に建設されたバロック様式の教会です。
教会は、1673年にこの場所に定住した聖人の信者の修道院の別館として建てられました。
また、「ガウディ(Antoni Gaudí)」が毎日通い、1926年6月7日に路面電車に轢かれて亡くなる(3日後に死亡)直前にも向かっていた教会です。
スペイン内戦の間、教会は空襲で爆撃され(バルセロナで2番目に大きな被害)、ファサードだけが立っていたそうです。
後日、「ガウディ(Antoni Gaudí)」が亡くなった病院跡にも行きました。
教会の正面には、1938年1月のスペイン内戦の弾丸の跡が残ります。
内戦の間、子供たちの避難場所として使用されていましたが、 1938年1月30日、フランコの空軍によって爆弾が落とされ、教会の前で直接爆発し、内部に隠れていた子供たちのうち30人が死亡。 その後、生存者を救出しようとしていた人々の上に、2番目の爆弾が広がって死者数は、42人になったそうです。
近づくと、壁の凸凹が目に入ります。
時間帯によっては、広場にはいることができません
教会の右側(写真左側)には、広場を遊び場として使用する「サン・フェリップ・ネリ学校(Escola Sant Felip Neri)」があります。
時間帯によっては、広場に入ることができません。
【ご参考までに】サン・フェリペ・ネリ広場(Plaça de Sant Felip Ner)迄の行き方
ここから出発しました。
こちらを少し進むと、右側に下の広場が現れます。
1.「ガリーガとバッハ広場(Plaça de Garriga i Bachs)」の左右どちらの道からも行くことができます
この広場には「スペイン独立戦争時の殉国者の記念碑(El Monument als Herois del 1809)」があります。この5人のブロンズ像は、1929〜1930年にカタルーニャ出身の彫刻家「Josep Llimona」による作品で1941年に設置されました。
「サン・フェリペ・ネリ広場(Plaça de Sant Felip Ner)」にはこの広場の左右どちらの道からも行くことができますが、時間帯によっては広場は学校の遊び場として使用され、入ることができませんので、見るだけなら、左側の道がお勧めです。
1-2.右に進むとこちら
ちょっと狭い道ですが、道なりに進むと広場に出ますので、簡単です。
ただし時間帯によっては、あのアーチから広場にはいることができません。
1-3.左進むとこちら
右側に「サン・セベ教会(Església de Sant Sever)」があります。
暫く進むと、右側に「サン・フェリペ・ネリ通り(Carrer de Sant Felip Neri)」があり右折して進むと、広場に繋がります。
広場に入れない時間帯でも「サン・フェリペ・ネリ教会(Iglesia Sant Felip Neri)」と噴水を正面に、広場の全体をみることができます。
この後、モザイク画の美しいモデルニスモ様式の「カサ・ドクトール・ジェノヴ(Casa Doctor Genové)」を眺めました。
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2018年5月
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